2000開催日
サーキット
大会名
チームリリース
ドライバー
予選
(総合)
決勝
(総合)
ポイント
Round 13/18-19
美祢
CP-MINE 500km Race
完全勝利の開幕戦
織戸 学
土屋 圭市
2位
(15位)
1位
(8位)
20
Round 24/22-23
仙台
ハイランドスーパー耐久レース
2連続優勝
織戸 学
飯田 章
2位
(11位)
1位
(7位)
20
Round 35/13-14
鈴鹿
スーパー耐久・鈴鹿200マイル
ポールポジション
織戸 学
飯田 章
1位
(12位)
2位
(6位)
15
Round 46/10-11
TI英田
TIスーパー耐久&F3レース
鈴鹿の借りを返しシーズン3勝目
織戸 学
飯田 章
3位
(19位)
1位
(8位)
20
Round 57/21-23
十勝
第7回 十勝24時間レース
完走3位
織戸 学
土屋 圭市
飯田 章
1位
(16位)
3位
(17位)
18
Round 69/16-17
もてぎ
もてぎスーパー耐久レース
完走8位
織戸 学
飯田 章
2位
(13位)
8位
(31位)
3
Round 710/14-15
富士
Super-TEC
本領発揮・完全優勝〜POLE to FINISH
織戸 学
土屋 圭市
1位
(20位)
1位
(8位)
20
Round 810/28-29
菅生
SUGOスーパー耐久レース
完璧なレース展開だったが・・・
織戸 学
飯田 章
1位
(8位)
9位
(32位)
2
4勝。118点でシリーズランキング2位。
Special11/16-19
マカオ
The 47th Macau Grand Prix
挑戦1年目にして総合11位を獲得
織戸 学:11位、木下みつひろ:リタイア。

2000 :R1 MINE 完全勝利の開幕戦

2000.3.18〜19 天候:雨のち曇り 路面:ウェットからドライ 観客動員数:26,300人
予選:クラス2位(総合15位) 決勝:クラス優勝(総合8位)


●予選
 いよいよ今年もシーズン開幕となった。メンバーは昨年と変わりないが、マシンは赤と白に塗り分けられ「RS★R」のカラーリングで現れた。金曜日に土屋圭市が各部の確認をおこないながらセットアップをしたマシンは、同じく土屋が乗り予選に臨んだ。
 タイヤを丁寧に暖めながら周回し計測3周目に1’38”168のコースレコードを出しトップ。そして、13:03に織戸に交代する。今年から予選に、レインタイヤを使うことが禁止されたので、決勝にタイヤを温存すべく織戸は一周計測のみで1’39”144でピットに戻ってきた。しかし、その時、#38の山路選手が、1’38”156、1’37”842と立て続けにタイムを上げてポールポジションは奪われてしまい2番手となった。

●決勝
 前線の通過に伴い朝から雨が降っている。予報では、昼過ぎに止むといっているが・・・。
 スタート直前までタイヤの選択に迷う。取りあえず浅ミゾのレインタイヤをつけてコースインしようとするが、チームの判断で急遽、中ミゾへ交換。雨はすぐには止まないと判断した。土屋がスタートをつとめ、ローリングが開始された。シグナルが青になり水煙を上げて全車1コーナーへと消えていった。そして、最終コーナーから赤/白のアルテッツァが現れるが、なんと、1周目で早くもクラストップ/総合11位となっていた。7周目には2位の#39に対して+9秒のリード。土屋はどんどん逃げていく。13周目より雨が強くなってくるがウェットは得意の土屋。まさに水を得た魚のように、どんどんベストラップを更新していく。51周目あたりから雨が小降りになってきた。
 そして69周目あたりでは、陽も差してきてライン上はドライになってきた。タイムも急激にあがってきた。タイヤが心配だ。しかし、耐久レースなので予定の周回(土屋は76周)を走らないと後半きつくなってしまうのでタイヤをかばいながらも激走する。そして79周目にピットイン。コースは完全にドライ。織戸はスリックタイヤでコースにはいった。この時点で土屋は、なんと、N-Plus全車をラップしていた。織戸も土屋に負けじとタイヤが暖まってきた4周目あたりから1’41”台で周回する。107周目に最終コーナーでセーフティーカーが入る事故があり、112周目にレース再開。この時点で総合でも9位となる。安定して41秒台で周回を続けて、いよいよ残り10周ほどになり、ガソリンも減って軽くなってきたマシンをチェッカーに向けて織戸はドライブを続ける。そして137周目には、1’40”809と40秒台にタイムを上げてきた。138周目には1’40”754とファステストラップを叩き出し、さらに139周目には1’40”359と自己ベストを詰めていく。織戸も全車ラップして、2位に2周の大差をつけて開幕戦を制した。

2000 :R2 ハイランド 2連続優勝

2000.4.22〜23 天候:曇り 路面:ドライ 観客動員数:26,700人
予選:クラス2位(総合11位) 決勝:クラス優勝(総合7位)


●予選
 今回は、織戸の相棒は飯田章。二人ともGTのテストで菅生からの移動で今回のレースに臨んだ。昨年から新設されたグループNクラスだが、今回はスーパー耐久の各クラスの中で最も多い10台がエントリーした。時折、強く雨が降るなか、金曜日は、レインタイヤの確認と、仕様変更をした車両の各部チェックを精力的におこなった。
 そして、土曜日になり午前中に1時間フリー走行があった。ここでちょっとしたアクシデント。勢い余ってのせいか、織戸はアクセルペダルを飯田はクラッチペダルをなんと走行中に曲げてしまった。そんな勢いで午後の予選に臨んだ。各車レインタイヤでコース状況を確認しにコースインするが、我々は、雨が降るとの判断で織戸に確認したところドライタイヤで行けると判断。雨続きで、ドライでのセットアップの時間が短時間しかなかったが、ハーフウェットのなかドライタイヤでコースに入った。丁寧に暖めて2’00”592を出して戻ってきた。ポールポジションを取れたと思いきや、宿敵、山路選手が2’00”414を出し0.1秒差で予選2位となってしまった。
 雨が今にも降りそうになってきたのですぐさま、飯田もコースに入るがあっという間に本降りの雨。大丈夫か?と思ったが、さすがは飯田。ドライタイヤで走り切り、2’08”039とクオリファイした。

●決勝
 日曜日は、好天に恵まれドライタイヤでのレースとなった。スタートは織戸がつとめた。ローリングスタートが予定通り13:00に開始された。1コーナーに織戸が飛び込んでいくが、強引にインへ予選を失敗したランサーが入ってきた。アウトに1台いるし、織戸はたまらずランサーと接触。一瞬、中にアルテッツァは浮いた。しかし、そのまま無事コーナーを曲がりメインストレートに11位で戻ってきた。2周目には、早くも38番の松田選手を抜きクラス1位へ浮上。続く4周目には2’01”979を叩き出す。そして、どんどん後続を引き離しにかかり、15周目には14.343秒のリードを確保した。16周目には、今回からパワーアップしてきた39番のインテグラの磯田選手が38番を抜き2位へ。22周目には小雨が降ってきたが、20.982秒に2位とのタイム差を拡げた。26周目には雨も止み、織戸は2’03”台の速いペースで周回を重ねていった。
 織戸の右フロントタイヤは、スタート直後の1コーナーでの接触でアウト側が、フェンダーに擦れてつらい状態になっていたが、39番がピットインする39周目には43秒差の大差をつけた。しかし、限界に達して44周目にピットイン。飯田に交代。タイヤも4本交換。
 そして、武田チーフエンジニアが、フェンダーの接触に気づき手で強引にフェンダーを拡げてピットアウト。46周目には、ピット作業で無給油作戦をとった4番横島選手が16秒差に迫ってきていた。しかし、飯田はあせることもなく、徐々に横島選手を引き離しにかかり、58周目には、20.431秒差にしたところでタイヤ、ミッションに気を使いながらゴールへと向かって周回を重ねる。終始安定した走りで、常に20秒差で77周を走りきり開幕2連勝を獲得した。


 2000 :R3 鈴鹿  ポールポジション

2000.5.13〜14 天候:曇り 路面:ドライ〜ウェット〜ドライ 観客動員数:14,000人
予選:クラス1位(総合12位) 決勝:クラス2位(総合6位)


●予選
 今回は、GT選手権で起きたアクシデントにより土屋選手は大事をとって休養して織戸選手の相棒は再び飯田選手。二人でちゃくちゃくとセットアップを煮詰めていき、午前中のフリー走行では、2’26”854と織戸がクラストップをマーク。12:50になりいよいよ予選開始となる。
 織戸は、開始と同時にコースイン。ゆっくりとタイヤを暖めながら一周してきて、いよいよアタック開始。計測1周目で午前より0.8秒縮めて2’26”146をマーク。続く2周目には、2’25”558を叩き出してクラストップにつけた。一方ピットでは、飯田選手が予選に臨むためヘルメットを被って待機している。織戸はピットへ戻りヘルメットを脱ぎモニターを眺めてライバルの動向をチェックする。
 土屋武士選手が2’26”009で2位につけている。織戸は逆転されたら、すぐにでも走り出せるように再びヘルメットを被る。 ポールポジション獲得に燃えている。13:08マシンに乗り込みいつでもスタートできるように準備。13:09、飯田選手に先立ち1周だけもう1回アタックを開始。新品タイヤのベストな部分は、使ってしまったので結果は、2’25”877とタイムアップはできなかった。
 続いて飯田選手が走るが、このタイヤをレースのスタート時に装着しなければならないので、規定タイムのクリアを目標に1周だけ走行した。13:30チェッカーフラッグが振られ織戸は首位を守りきりポールポジションとなった。

●決勝
 前日の夜には、雷鳴が響き夜半には雨が降ったが、朝からしはしば陽もさしてドライコンディションでの決勝を迎えた。レースは55周で争われる。しかし、西の空には雨雲が・・・。時刻通りに織戸がスタートをおこなうが、今日も雷が鳴り出した。
 ピットでは、全種類のタイヤを準備するなどあわただしい雰囲気となる。4周目に入り38号車がエンジントラブルでピットイン。また今回から登場した64号車がクラッチトラブルと早くも2台のアルテッツァが戦列を離れた。36号車の土屋選手、4号車の横島選手が織戸を追うが、9周目には、2位の土屋選手に14秒の差をつけて織戸は快走する。10周目にコースの西側で雨が降りだした。この時で総合10位となる。各車ドライタイヤのままで走行を続ける。11周目が過ぎ12周目であたりが真っ暗になり突然、豪雨となった。メインストレートはまるで川のような状態となり、チームは無線でペースダウンするように織戸へ指示した。
 しかし、完全にステアリング、ブレーキも効かないマシンは1コーナーに吸い込まれていった。コースアウトするがなんとかバランスをとりコースへ復帰しようと織戸は必死だったが、後続車に追突されてしまった。織戸のマシンの左サイドにヒットしたが、幸いにも操縦には影響なくピットへ戻ってきた。1コーナーは、5〜6台のマシンによる多重クラッシュとなり赤旗中断。レースは2ヒート制となり、この時の順位である10位からのスタート。マシンはメカニックの手で修復され再びグリッドへ。タイヤは浅ミゾのレインタイヤを選択。第2パートは40周でのレースになりペースカーが先頭を抑えながらのペースカースタートとなる。
 3周目にレース再開。早くも総合7位まで浮上。7周を走り、コースが乾いてきたため飯田選手へバトンタッチ。2位を走っていた4号車に先行されるが、4号車はまだピットインを終えていない。飯田は28秒台で走り、順位を上げていく。20周目には、総合9位、クラス2位までポジションを戻した。2位との差は、80秒。22周目に4号車がピットへ入る。しかし、予想以上に早いピット作業でコースへ復帰。その差は、23周目でまだ24秒。残りは18周。
 ここから、飯田は怒濤の走りで、4号車を追いかける。毎周1秒〜1.5秒縮めながら走り、32周目には、その差9秒まで迫る。残り8周だ。37周目には3.6秒差となるが、飯田の激走にタイヤが悲鳴をあげ始めた。しかし、追撃の手は緩められず、翌38周目にはレース中のベストタイム2’27”029を叩き出し4号車との差は1.8秒。そしてファイナルラップの130Rまたは、シケインで仕掛けようと39周目の裏ストレートでぴったりくっついていくが届かず0.880秒差で2位となった。


2000 :R4 TI  鈴鹿の借りを返しシーズン3勝目

2000.6.10〜11 天候:曇り 路面:ドライ〜ウェット〜ドライ 観客動員数:33,900人
予選:クラス3位(総合19位)決勝1位(総合8位)


●予選
 今回は、ルマン24時間レースに出場を控えた忙しいスケジュールの中、織戸選手の相棒は飯田選手となる。ドライコンディションになると、38番と4番に少し水をあけられた状態だがチームは、さほど心配することなくマシンを決勝レースのセットアップに専念した。いよいよ織戸選手がコースインして1分43秒819のコースレコードをたたきだすが、4番の横島選手は1分43秒430、38番の山路選手は1分42秒816とタイムを更新された。織戸選手も負けじとクールダウンをし、タイムアタックをしたが届かず予選3番手に留まった。

●決勝
 天気予報は曇り、何とか雨が降らないことを祈る。スタート直前まで、ドライバー・監督・エンジニアの作戦会議が続く。作戦はガソリン満タンで織戸選手スタート、チャンスを待つ。4番スノコ・アルテッツァは34周目で早めのピットイン。この間、織戸選手は2番手に上がり38番をピッタリマークしてチャンスを待つ。早くも40周目チャンスが来た。38番ジアラ・アルテッツァのタイヤがバーストしてピットイン、トップに立つ。喜びもつかの間42周目、右ドアをぶつけられる。鈴鹿の悪夢がよみがえるが大事には至らなかった。織戸選手は順調に周回をかさねトップで61周目にピットイン、その間4番スノコ・アルテッツァにトップをとられるが、交代した飯田選手が一気にタイムを詰め74周目に4番を捕らえる。チャンスを狙い79周目ストレートで抜き去る。その後周回を重ねて無事フィニッシュを迎えるはずが96周目に雨がポツリポツリ降り出した。残り10周で雨がひどくなる、レインかドライか。残り8周で4番スノコ・アルテッツァはピットインしてレインにタイヤを変えるが、我々の作戦はドライタイヤのまま走り続け105周目にトップでチェッカーを受ける。辛抱強くチャンスを待った、粘り勝ちのレースであった。

2000 R5 十勝24時間  完走3位

2000.7.21-23 天気:晴れ〜曇り〜霧他、コースコンディション:ドライ。 レース距離:24時間
予選:クラス/1位(総合16位)、決勝:クラス3位(総合17位)。


●予選
  いよいよ後半戦に入り、今回我々は新車を投入し必勝態勢で十勝へ臨んだ。 午前中の走行でミッションにトラブルが発生したためミッションを交換し、さらに、 決勝に備えてエンジンも交換したので、まずは飯田が確認の走行をおこなった。問題がなかったので、引き続き計測に入ったが、フロントタイヤがタイヤハウスの内側に接触するという不具合が発生。今回は、予選が2回あるので車体の改善を行うため、その後の走行は中止した。
 そして、2回目は土屋から計測開始。1回目で使った中古タイヤで2’20”807を出し、フレッシュタイヤでアタックしてまずは2’19”007を出す。最後に織戸が土屋が2回 目の予選で使用したタイヤでアタック。計測1周目にはやくも2’19”149をだし2周目に期待するが、小雨が降ってきた。ライバルのスノコ・アルテッツァは2’18”892を出している。皆がモニターを注目しているなか、2’18”839のタイムを出して戻ってきた。さすがエースドライバーの意地をみせてくれた。

●決勝
 昨日までの肌寒さから一転してスタート前には気温が28℃まで上昇。水温の管理に若干の不安を残すが、予定通り15:00に織戸からスタート。作戦は、スタートから逃げて逃げ切ろうという作戦だった。
  スタートをきれいに行いクラストップを確保して、織戸はストレートに戻ってきた。昨年型以上に速くなったマシンを巧みに操り、織戸はじわじわと2位のSUNOCO ALTEZZAを引き離していき、19周目に は+2.4秒、25周目には+6.4秒、39周目には16秒差をつけ順調に走る。そして、2位が エスぺリア・アルテッツァに入れ代わるが20秒以上の大差をつけて17:07に飯田へ交代した。
  17:37飯田が突然「コーナーで燃料を吸わなくなった」と言って緊急のピットイン。燃料ポンプを交換して再スタートするが20分のロスタイム。クラス4位総合26位となったが、レースはまだ21時間ある。飯田はガソリンも軽くなってきた頃 には2’21”台で走り着実にポジションを上げていき、土屋へ交代する時には総合22位まで挽回した。
  20:13飯田がピットへ戻り土屋へ交代。土屋は燃費をかせぐ走行で周回を重ねていくが、オフィシャルよりピットへ我々の車両から火花が出ているとの連絡が入った。しかし、土屋からは異常事態の連絡も無く、ラップタイムも安定しているのでしばらく様子をみることにした。結局、火花も収まったため土屋は予定通 り60周を走って22:38ピットへ戻り織戸へ交代。
  この時に、車体をチェックしたとこ ろなんとフロントのスタビライザーが折れていた。それが、地面に接触して火花がでていたようだ。ピットストップをこれ以上増やしたくないので、我々はフロントスタ ビ無しで戦うことに決め、22:40織戸はピットアウトしていった。この状態で織戸は2’24”台で走行し、23:53には総合20位となる。そして、ガソリンが減り軽くなってく るとスタビが効いてない状態で2’22”901という驚異的なタイムを出して19位で飯田へ交代。
  2:10頃に霧が濃くなってきた。しかし、飯田も追撃の手を緩めることなく視界が悪いなか 2’25”台で頑張る。3:00をまわったところで、飯田から「最終コーナーで止まった」と連絡が入った。やはり、燃料系のトラブルだ。詳細は不明だが、最後までガソリンが吸えない。その時、濃霧のためペースカーが入った。チャンスだった。 ペースカーランの間に車両はリペアエリアへ運ばれ、バッテリーを交換し、燃料を補給して3:08コースへ復帰。ピットへ戻り土屋へ交代。その後は、トラブルも無く朝を迎えた。
  9:43「ステアリングが効かない」と言って飯田がピットへ戻ってきた。ハブ交換と同時にブレーキ関係も交換。ピットアウトするが、完全に治ってなく再度ピッ トへ戻ってきた。タイロッドのボルトが抜けていたが素早く修理してコースへ復帰。 その後、織戸に交代して13:55最後の給油をおこない3位でチェッカーを受けた。
 車体は昨年仕様と比較して格段の速さを持っていることが確認できたので、トラブルシューティングを完璧に行い、次戦からは全て優勝するつもりで頑張ります。


2000 R6 完走8位

2000.9.16〜17  天候:曇り〜雨〜曇り 路面:ウエット〜セミウェット 観客動員 数:7,100人
予選:クラス2位(総合13位)、決勝:クラス8位(総合31位)


●予選
 金曜日は、雨が止みそうで止まず結局3回あった走行時間すべてで、スリックタイヤを履くチャンスがなく土曜日の午前中のフリー走行の最後にようやくドライタイヤを履く時間があった。そこで、織戸は短い時間で上手くセットアップして2’11”092の好タイムを出してクラストップ、総合でも11位に入る速さを見せた。午後になり予選開始となり、まずは織戸が2’11”227を出し2位につけるが、またもや雨。
 なんとか飯田はクウォリファイ・タイムの2’24”183をクリアーする。

●決勝
 台風が接近していて、天候の読みが微妙だが、とりあえずグリッドに着く前の下見走行では浅ミゾのレインタイヤを装着して織戸はピットを出ていった。グリッドにて着々とスタート進行がおこなわれていくが我々も含めてアルテッツァ勢は、スノコアルテッツァを除いて乾いていくという読みでスリックタイヤにグリッドにて変更。スノコアルテッツァのみ浅ミゾのレインタイヤでスタート。まだ、一部濡れてい るので慎重に走行するが、オープニングラップの順位は2位をキープでメインストレートに現れた。41台のマシンが走行するため、やはり序々に路面は乾いてきて9周目に は、2’15”111と1位のエスペリアアルテッツァとの差を4.1秒に縮める。しかし、11 周目に雨が降りだした。そして、12周目にはかなり激しく降ってきてスリックタイヤを選択したマシンは続々とピットへ戻ってレインタイヤに変更。そのまま走行を続けていたエスペリアアルテッツァは、14周にコースアウトしてしまった。その時にタイヤをパンクしてしまいピットへ戻ってきて浅ミゾのレインタイヤに交換してピットアウトしていった。トップは12周目にピットインして深ミゾのレインタイヤに変更した 上野クリニックアルテッツァ(36)に入れ替わる。しかし、すぐに雨は止んだのでポジションは落としたが織戸はスリックタイヤのままで、暴れるマシンを操ってなんとか コース上にとどまり、路面が回復するのを待っていた。  
 そして、真っ先に29周目トップを走っていた36号車がピットインしてドライバー交代。やはり、路面が回復したので深ミゾでは厳しいようで浅ミゾのレインタイヤへ交換。しかし、エキゾーストが割れてしまいリタイヤする。織戸は、毎周ペースを上げていき36周目には、路面も乾いてきて、レインタイヤで走行するトップのスノコアル テッツァに73秒差となる。41周目には、64号車のアルテッツァがピットへ入り再び2位へ浮上。45周目には、57秒差となり、46周目にいよいよレインタイヤでの走行もつらくなり、スノコアルテッツァがピットイン。ドライバー交代してタイヤもスリックでピットアウト。スノコアルテッツァのタイヤがまだ暖まっていない間に、織戸は1周当たり2秒から3秒タイムを縮めて約40秒差となる。そして、ガソリンもぎりぎり の54周目にピットへ。飯田へドライバー交代。その時、再び雨が降ってきたので今度は、浅ミゾのレインタイヤを装着してスリックタイヤのスノコアルテッツァを追い上げようと飯田がセルを回すが・・・。エンジンがかからない。
 燃料ラインにエアーがかんでしまうという、ペーパーロック現象だった。燃料ポンプよりエアー抜きを行い無事再始動するが、ピット作業で11分15秒費やしてしまい大きくポジションを落としてしまった。その後、飯田が懸命に走るが追い上げもむなしく8位でチェッカーとなった。
 スタート時のタイヤ選択と天候の変化により、スタートドライバーをぎりぎりまで走行させなければならなかったが、二度と同じことが発生しないように次回までに、燃料ラインに対策をおこない対処いたしいます。

2000 :R7 本領発揮・完全優勝〜POLE to FINISH

2000.10.14〜15 天候:曇り〜雨〜曇り 路面:ドライ〜ウエット〜セミウェット
予選:クラス1位(総合20位) 決勝:クラス優勝(総合8位) 観客動員数:33,700人


●予選
 今回は、S耐史上最大の51台がエントリーして決勝は45台で4時間のレースを争われることとなった。
 金曜日は、富士特有の濃霧と雨でウェットのセッティングを行ったが、土曜日は天候が回復してドライコンディション。各チームとも短い時間の中でセットアップをおこなった。
 我々は、織戸が1’43”690をマークして2番手となる。車のバランスとしては、いい感触で午後の予選をむかえた。他車は様子をうかがい、まだコースインしないが、織戸は予選開始そうそう自信満々にピットを後にした。ゆっくりとていねいにタイヤを暖め計測開始。1周目に1’43”970そして、2周目には1’43”162の好タイムを出してピットへ戻ってきた。暫定ポールポジションとなる。続いて、土屋がクゥオリファイするためにコースイン。土屋はいきなり1周目に1’43”537を出し、2周目には1’43”254と織戸に迫るタイムをだす。
 予選時間は、まだまだ十分あるが、我々は決勝用にタイヤを温存するために、わずか8周で早々に予選を終了。しかし、織戸の出したタイムを誰も更新することはできず、今シーズン3度目のポールポジションが確定した。

●決勝
 今にも雨が降り出しそうな空であるが、ドライコンディションで予定通り12:00ちょうどに45台全車がスタート。今回のスタート・ドライバーは土屋。背後にはベテランの関谷がいるが上手にスタートしてトップのまま1コーナーへ。土屋の前方で接触があるが上手に避けてどんどん逃げていく。総合17位クラストップでストレートへ戻ってきた。シリーズ争いのライバルであるスノコ・アルテッツァは各所で起きた接触に阻まれ何と9位でストレートを通過。9周目の1コーナーでスリップについた関谷を1度前に出すが、10周目には1’44”186のベストタイムを出し続く11周目 の1コーナーで再び土屋が抜き返す。
 N+は、土屋と関谷でどんどん他車から逃げていく。そして、土屋は各車安定してきたところで、いよいよ関谷をも離しにかかる。自己タイムをどんどん更新して16周目には1’43”985と43秒台にいれて快調にとばす。そして、26周目にはいったところでやはり雨が降り始めてきた。土屋は濡れた路面をスリックのまま走り続け、30周目には2位の関谷とのアドバンテージを19秒に拡げる。
 42周目、ラップタイムが50秒台に落ちてきた。さすがに土屋でもペースを落とさなくては走行できない程の雨になってきたが、この時点で総合でも13位にまで上昇していた。49周目をむかえスタートから1時間半が経過していて、次の織戸の最大運転時間3時間というルールはすでにクリアーしている為、レインタイヤへの交換と同時にドライバーも土屋から織戸へ交代した。
 エンジンも1回で再始動し、浅ミゾのレインタイヤでコースイン。ピット作業で一時的に3位へ落ちるが、トップのkg-m、2位の関谷はまだスリックタイヤのためペースが2分前後での走行となるが、織戸はタイヤが暖まってからは1’52”台のハイペースで追い上げ60周目には関谷を抜き2位となる。
 64周目にレインタイヤへ交換するためにトップのkg-mがピットイン。その間に織戸はトップにたち、67周目には総合でも11位までポジションを上げる。ピットインのタイミングで2位が入れ替わりエスペリア・アルテッツァとなるが、73周目には、その差90秒となる。
 75周目にアクシデントが発生しセーフティー・カーが入る。通常2時間しか満タンで走行できないが、雨でペースが落ちているため計算上、2時間半、無給油で走れるがチームは万が一を考えてこのタイミングを活用して、給油のみのピットインをおこなった。16秒のピットストップでセーフティーカー・ランに合流。翌82周目にレース再開となった。セーフティーカーの導入により2位が関谷から交代した荒になったが、87周目には97秒のリード。総合でも10番手となる。そして、99周目2度目のセーフティーカーが入った。しかし、我々はここでは何も動かず105周目にレース再開。残り30分となる。雨はほとんど止んできたが、気温が低いため路面は乾かない。織戸は、そのままのリードを保ち2位以下に大差をつけて122周目にトップでチェッカーを受けた。


2000 :R8 完璧なレース展開だったが・・・

2000.10.28〜29 天候:曇り 路面:ドライ
予選:クラス1位(総合8位) 決勝:クラス9位(総合32位) 観客動員数:24,900人

●予選
 13:00になり40分間の公式予選が始まった。アタッカーは織戸が担当。路面の状況が安定するのを待って、13:08にコースイン。ゆっくりとタイヤを暖めながら1周し、さらに1周していよいよ計測開始。 まずは、13:16に1’33”185をマークしていきなりトップに躍り出た。続く周回も手を緩めることなく1’32”685と2位以下を大きくリード。そして、もう1周アタックしてさらにタイム更新して1’32”577とダントツのタイムを叩きだした。
  続いて、飯田に代わり飯田も難なく1’33”911で予選をクゥオリファイ。そして13:40に予選終了。総合でも8位。4列目からのスタートだ。前にいるのは、1クラスのスカイライン4台と3クラスのRX-7、2クラスのランサーのみだ。

●決勝
 今回も雨が降りそうな空であるが、とりあえずドライコンディションで予定通り12:40ちょうどに42台全車がスタート。今回のスタート・ドライバーは織戸だ。 そして、1周目は前後左右に上のクラスであるランサーに囲まれて予選順位通りにストレートへ戻ってきた。続いて予選2位のジアラアルテッツァ、続いて、予選3番手につけていた、ライバルのスノコアルテッツァの前にスタート直後の1コーナーで今日が現役最後の関谷選手のアルテッツァがきれいに入って、関谷、スノコと続く。作戦は、ポールポジションからスタートして前半速いペースで走行し逃げ切ろうというものだった。
 コーナリングマシンとも言えるアルテッツァを織戸は巧みに操り、インフィールドでは前を走るランサーに仕掛けるが、勾配がきついここ菅生では、ストレートではターボパワーに屈してしまいなかなか順位を上げることができない。まるでブロックされているかのようだ。しかしながら7周目でランサーをあっさり抜き総合7位へ。まったく他のNプラス車両を寄せ付けない走りである。視界が開けた織戸は、作戦通り逃げだした。終始安定した走りで1’35”台で走行して完全に独走態勢にもちこんだ。この時点では、25、36、38、4と理想通りの展開。(なぜなら、我々がシリーズチャンピオンを確定するには9ポイント差があるため、この最終戦でそのリードを埋めなければならない。その為には、1位20ポイント-4位10ポイント=10ポイントなので)
 そして、65周目。まずは、ジアラアルテッツァが予定通りのピットインを。そして67周目にスノコアルテッツァがピットイン。我々は、燃料給油のタイムロスを少しでも減らすためにぎりぎりまで織戸を引っ張る予定だった。ところが、67周目にアクシデントによりSC(セーフティーカー)が導入された。このタイミングでピット作業をおこなうことに決定して飯田に交代。スノコアルテッツァはタイミング良くSCラン中にピットアウト。ところが、ジアラはSCカー導入前に入ったのが仇となりスノコに抜かれてしまった。また、我々は大量のリードがあったために問題がないが、関谷もピットタイミングで損をしてしまい、何と順位が25、4、36、38となってしまった。
 そして、75周目にレース再開。そして、77周目には関谷から代わったベテラン星野薫が意地を見せ1コーナーでスノコを抜き25、36、4、38となる。
 85周目、悪夢のようなできごとが発生した。スピンして停車していた4クラスのシビックがバックで飯田の前を横切ろうとコースに入ってきた。精一杯の回避行動を飯田は取ったが避けきれず、左のフロントが接触。ピットへ戻ってきた。応急修理をしてコースへ入るがとても車はまっすぐ走る状態ではなかった。アームに損傷があるようだ。我々は、この時点でレースをあきらめるしかなかった。
 また、シリーズチャンピオン獲得の夢は崩れた。しかし、織戸の1’34”284というベストタイムは、2位の車両のそれを1秒以上も上回るタイムであり、飯田もまた1’34”710という実力では絶対に負けてはいなかったのだが。
 ところで、この車両はマカオグランプリに参戦するために月曜日に船積みしなければならない。そこで、チームは修理をして再度走らせることを決定した。ガレージ内に入れ38分という長いピット作業だが、アームを交換して織戸が車両のチェックのため再度コースインした。ゆっくりと2周走行して再度各部を確認するためにピットへ戻る。その後は、チェッカーを目指し痛々しい姿の車両をゴールまでドライブし9位でフィニッシュ。

The 47th Macau Grand Prix:挑戦1年目にして総合11位を獲得

2000.11.16〜19 天候:曇り 路面:ドライ
予選:織戸3位/木下16位
決勝:第1レグ*織戸20位/木下DNS 第2レグ*織戸4位/木下DNF 総合*織戸11位/木下DNF
観客動員数:22,000人(South China Morning Postより)


●大会1日目/予選1回目
 スーパー耐久シリーズの最終戦菅生で損傷した車両をパドックにて修理し、15日水曜日に車検を無事通過して、18:00からのブリーフィングに出席するために会場へ向かった。
 そして、出席確認のサインをして会場へ入るときに1枚の紙が渡された。そこには、なんとアルテッツァはウェイトを100キロ積まないと出走できないと記されていた。今年からN+規定でのマカオとなったが、各国の規定がまだ統一されていないため、やや有利とみられた日本のN+に対して最終的な判断がなされたのだが。ブリーフィング会場でFIAのスタッフと協議するものの、とにかく走ってからでないとハンディウェイトを軽減するもなにも判断できないということで、やむなくチームは承諾した。そして、織戸学/木下みつひろ両車の計2台分200キロのウエイト搭載とアライメントの取り直しを深夜までおこない午前中の練習走行をむかえた。
 雨は、ほとんど止んでいたが、コースはところどころウェット。そんな状況で11:15より開始したが、いままで日本で乗っていたバランスではないため(日本での重量は約1,070キロ)、11:28織戸が走り出して2周目の最終コーナーで痛恨のスピン/クラッシュ。予選は15:15分からだ。メカニックの懸命な作業で、なんとか間に合い織戸は7周して2’48”940の19位。木下選手は、着々と午前午後とも周回を重ね2’46”308で7位となる。
●大会2日目/予選2回目
 やはり11:15から30分間の練習走行があるのだが、2台ともトップに並んでスタート合図と同時にコースイン。織戸は昨日までのうっぷんを晴らすかのようにどんどんタイムを更新していき10周走行して2’43”906とトップのBMWから-0.62秒差の3位。そして、午後の予選を迎えた。
 ドライタイヤは16本というルールがあるのだが、ここで織戸は2セット目のニュータイヤを装着してコースイン。自己ベストの2’42”051をマークして予選3位。木下も2’42”687をだして5位へ。しかし、木下は公式予選中の重量計測を見落としてしまったため、2日目の公式予選タイムが抹消されてしまい、1日目のタイムが適用されて正式結果は予選16位となってしまった。

●決勝/第1レグ
 そして、いよいよ決勝を迎えるのだが、なんと織戸車のエンジンがかからない。パドックオープンの時間はとっくに過ぎているが、事故のためタイスケが遅れていてまだオープンしていない。メカニックとTRDのスタッフが懸命に原因を探るが刻一刻と無情にも時間は過ぎていく。そして、30分遅れで開始されるというアナウンスが流れた。あと5分でコースインできなければピットスタート。公道のためパッシングポイントが少なく最後尾スタートは命とりだ。これでだめだと・・・と思ってワイヤーハーネスを交換して祈るような気持ちで織戸は始動を試みた。かかった!すぐにジャッキを降ろしてぎりぎりコースイン。ゆっくりと一周して無事3番グリッドへ。
 そして、いよいよ信号が消えてスタート。1速ギアが他車は、スタート用になっていて素早くダッシュするが、ギアが合わず出遅れる。4位でリスボアコーナーを抜けていった。その後方で、多重クラッシュに木下が巻き込まれた。完全に左サイドが宙に浮いた状態でストップ。赤旗となる。木下の再スタートは無理だった。そして、織戸は2回目のスタートへ。今回はさらに失敗してしまいプジョー2台にも先攻され6位でリスボアコーナーを無事に通過。先頭グループは次々に山岳セクションへ向かっていったが、今度は中盤グループが山岳セクションで多重クラッシュ。コースを塞いでしまった。またもや赤旗だ。
 無事にグリッドに戻ってきた車両に2度のスタートで減ったガソリンを補給して3回目のスタートとなる。今度は完璧にスタートが決まり3位のポジションキープのまま、山岳セクションへと織戸は消えていった。5周目のマンダリン・ベントでスリップについた織戸はリスボア手前でインに入り2位のBMWを抜き去り2位へ。そのまま徐々に引き離していくが、8周目に入りミッションに異常が発生し4位へ。9周目のリスボアコーナーで完全にギアがひかかってしまいコースをまっすぐオーバーランしてストップ。なんとか、ピットまで戻るが第2レグに備えてミッション交換へ。

●決勝/第2レグ
 木下の車両は応急修理で最後尾からであるがグリッドに並んだ。織戸の車両は作業がぎりぎりまでかかり、ピットスタートとなる。第2レグはグリッドで緊急ブリーフィングがおこなわれ、マンダリン・ベントが追い越し禁止となった。そのせいか、無事にスタートは切られたが、やはり山岳セクションで1台がクラッシュ。SCが入った。織戸にとってはチャンスで、ピットスタートであるがすぐさま最後尾を捕まえた。3周目に再スタートが切られた。4周目に木下は9位、織戸は11位へ、5周目には木下が7位・織戸が9位とグランドスタンド前を通過するたびにポジションがアップ。スタンドの観客も通過する時には拍手してくれている。
 7周目に木下がスロットルペダルの不具合でストップ。織戸は、5位までポジションを上げて4位との差は19.9秒。12周でゴールなので追い上げは難しいが懸命に織戸は走るが、第1レグでの3度のスタートでクラッチに負担がかかっていて滑りだしていた。何とかポジションキープで5位でフィニッシュ。
 #15がレギュレーション違反で失格になったため、レグ2の結果は4位となり、総合で11位という結果となった。