1999開催日
サーキット
大会名
チームリリース
ドライバー予選
(総合)
決勝
(総合)
ポイント
Round 35/15-16
鈴鹿
スーパー耐久・鈴鹿200マイル
デビュー戦で堂々の3位をゲット
織戸 学
土屋 圭市
6位
(42位)
3位
(20位)
12
Round 46/12-13
TI英田
TI 400kmスーパー耐久レース
チーム&アルテッツァS耐で初優勝!
織戸 学
飯田 章
1位
(13位)
1位
(10位)
20
Round 57/16-18
十勝
第6回 十勝24時間レース
十勝24時間初参戦で3位表彰台
織戸 学
飯田 章
土屋 圭市
3位
(14位)
3位
(11位)
18
Round 69/18-19
もてぎ
もてぎスーパー耐久レース
監督自ら出陣して2位を獲得
織戸 学
鈴木 恵一
2位
(12位)
2位
(12位)
15
Round 710/9-10
富士
Super-TEC
これもレースだ、無念のリタイア
織戸 学
土屋 圭市
1位
(18位)
リタイア-
Round 811/14
菅生
SUGOスーパー耐久レース
有終の美を飾る
織戸 学
新田 守男
1位
(9位)
1位
(8位)
20
途中参戦ながら、2勝。ポイント85でシリーズランキング2位

R3 SUZUKA デビュー戦で堂々の3位をゲット

 1999.5.15〜16 天候:曇り 路面:ドライ 観客動員数:12,000人
 予選:クラス6位(総合42位) 決勝:クラス3位(総合20位)


●予選
 懸命な作業の上、ようやく完成したマシンがサーキットに現れたのは、予選当日の朝。早々に車両は、車検場に運ばれた。7:00〜8:00に行われる車検を通過しないと予選に出走できないからだ。無事に車検をパスするが、最終的なマシンのチェックを行うために午前中のフリー走行は出走を見合わせた。そして、午後、本当にシェイクダウンとなってしまった予選を走るために織戸がコースイン。マシンのチェックが目的のためゆっくりと走行。各部に異常がないことを確認してタイムは気にせずクラス6位(最下位)でピットへと戻ってきた。「全体のバランスは、悪くないですよ。」と織戸は待ちに待ったドライブに満足して語った。

●決勝
 ル・マン24時間レースのテストで、フランスはポールリカールへ行っていた土屋が成田に着いたのは、昨晩の18:00。新幹線で名古屋に着きタクシーを飛ばしてホテルへチェックインした時には日付も替わっていた。しかし、車検に参加しなかった為、再車検を申請して、朝の7:30から装備品のチェックを行うためにサーキットへ。そして、8:00からのフリー走行へ参加。時折、雨が激しく降るウェット・コンディションだが、なんとG-Nクラスでトップタイムをマーク。
 いよいよ、レースを迎えるが、雨はあがり路面はドライに。駆動系に不安を抱えるチームとしては、ウェットのほうがありがたかったのだが・・・。スタートは織戸が担当。最後尾からの追い上げに期待がかかる。ローリングスタートが切られるが、スタートフィニッシュ・ラインまで前車を抜くことができず、グリッド右前方の車両が遅いため集団から離れていってしまった。そして、1コーナーを目指してブレーキング。その時、白煙が舞う。ブレーキ・トラブルかと不安がよぎるが、問題はなく、元気に織戸が水温、油圧を無線で報告してくる。オープニングラップを終えた時には36号車のアルテッツァを含む6台を抜き総合で35位に。4周目で更に前を走る37号車のアルテッツァを抜く。10周目になり、やはり心配していた駆動系が苦しくなってきたため36号車を先行させペースを2’35”台から2’38”〜39”台に落とし冷却することにした。
 織戸の判断は正しく、駆動系も安定してきた。十分なテストができていないため、当初は25周目にピットインして各部のチェックを行う予定であったが、毎周回、織戸からの無線での報告を聞いて、もう5周増やすことに18周目に決定した。19周目には、一時、先行させた36号車を再び抜きクラス3位へ。23周目に、37号車がピットイン。給油、ドライバー・チェンジ、フロント・タイヤの交換を終えレースに復帰。
 25周目には、36号車がピットインして、やはり同じ作業をおこなった。そして、30周目に、織戸が総合25位、クラス3位でピットへ戻ってきた。タイヤをいたわる走りをしてきたため、我々はタイヤ交換はせず、ガス給油のみで土屋へ交代。土屋から次々とマシンの状態が無線で報告されてきた。土屋は、34秒〜35秒台でマシンの状態を確かめながら周回を重ねていく。そして、早くも9周目には、33秒790と33秒台にいれてきた。土屋もタイヤとブレーキを保存しながら丁寧に走り、心配されていたトラブルもなくシェイクダウンながら、51周を走り切りデビュー・レースながら総合20位クラス3位でチェッカーを受けた。



R4 TI チーム&アルテッツァS耐で初優勝!

 1999.6.12〜13
 予選:クラス1位(総合13位)  決勝:クラス1位(総合10位)


■予選
 前日(土曜日)3回の特別走行で調整された車は、朝一番8:15からのフリー走行をこなした。そしてそのままトラブルなく予選に臨むことができた。公式予選スタート8:40だったが、路面にオイルがまかれてしまったためチームとしてしばらくウエイティングすることに。ピットアウトは9:05になった。コースインして3ラップで1’44”9の好タイムを織戸が出す。そしてすぐに飯田と交替。飯田も流しながらの1周1’47”1のタイムで予選を早々と終了。余裕で決勝の準備を進めることにした。「すぐにある程度のタイムが出せると確信していた」鈴木恵一が云うように予定通りの動きだった。スターティンググリッドはクラストップで総合13番手になる。

■決勝
 午後曇り空に変わって迎えた決勝は13:23にスタート。スタートドライバーは織戸。すぐ後ろを追走してくるNクラス39号車ウエスティンINTEGRAと40ラップまで常に2秒から3秒の差をつけて走るスリリングなレース展開を見せた。総合でも一時9位に入った。「もう少し差をつけて行きたいけど、前の車で詰まるからなかなか広がらないな」鈴木恵一。43周目、必死で追いかけてきていた39号車がピットイン。ドライブシャフトのトラブルと判明。この時点で後続のNクラス28号車38号車とは1分以上の差があったので「この後はマイペースで行けるよ」鈴木。にもかかわらず織戸は47秒から48秒前半のタイムで積極的な走りを続けた。54ラップ目、予定より少し早く織戸はピットに帰ってきた。燃料補給、ドライバー交代とタイヤ交換をも余裕をもって行う。飯田が飛び出した時点でピットインを行っていない38号車クラフトチームのアルテッツアが前になっていたが60周を終えたところで38号車もピットイン。再びクラス1位で走行。飯田も48秒前後の安定した走りを続けた。その後短時間でピット作業を終了させてコース復帰した38号車とも1周ごとに1秒近い差を加えていく。周回数90を越えたところで総合も10位に浮上。トラブルもなく、飯田は最後までペースを緩めることなく走り切り、クラス優勝、総合10位の結果を得た。

「今日は車が勝負できる状態になっていた。みんなで協力して車をまとめることができたと思う。アルテッツアの初優勝を我々のチームで行えたことが良かった。次ももっと速く行きたい」織戸 学

「今日は織戸がよく頑張ってくれた。レースの展開も良かったし後半の細かい不具合も問題なく乗り切ることができた。結果アルテッツアの初優勝になったことは嬉しい。チームワークも良いし、今後のシリーズをますます面白くしていけると思う」飯田 章



R5 十勝24時間初参戦で3位表彰台

 1999.7.16〜18
 予選:クラス3位(総合14位)  決勝:クラス3位(総合11位)


■予選
 予選走行は車の調整を目的としていた。特に公式予選2回目は決勝用セットアップにして最終調整のカタチで行ったため、結果としては総合14番手クラス3位のスタートポジションに落ち着いた。車の調子そして24時間の長丁場を考えると、我々にはこのスターティンググリッドの位置で有利、不利を論ずる必要はなかった。

■決勝
 淡々と時間が経過するレースだった。決してつまらないレースだったという意味では無い。ル・マンに代表される24時間耐久レースというと、天候の変化、車両のトラブルそして各チームの戦略で状況、展開が目紛しく変わることが多いというイメージがある。「N1の速度で行うレースだから、スリルの面では物足りない」そんな意見もあるが、今回は特に1回の車両火災を除いて大きな事故もなく、各車両のトラブルも頻発しない状況で続いたことが結果として順位変動の少ない粛粛とした展開をもたらしたことによると思われる。
 織戸でスタートした#25は予選で上位にいた#39、#38をパス、早々にクラス1番手総合12位の位置を得て安定走行に入った。総合では#32ファルケンGTRがスタートからそのままトップを行く。約2時間経過してまもなく50周になろうとするところでドライバーを飯田にチェンジ、同時にタイヤ交換も行った。ピットアウトした時点で総合20位クラスは5位になる。
 燃料持ちの良いインテグラはピットインの回数に有利がある。一周2分24秒から25秒代の速さで飯田は走行。ドライバー交換してからおよそ1時間、周回数にして80に届くところで再度#39ウエスティン・インテグラを抜いてクラストップ総合11位の位置に戻った。19:00近く100ラップを数える段階でドライバーが土屋に替わった。コースに出てすぐアクシデントでペースカーが入り、しばらくその状態が続いた。#39がピットイン、#24と#38もトラブルでピットインする。ペースカーが外れた時点で総合9位クラス1位のポジションでふたたび安定して周回を重ねる。クラス2位の#39との差も2ラップとなる。140周を超えた21時少し前、タイヤとドライバー交換で織戸にステアリングを渡した。その後再度ペースカーが導入されたがペースは変わらず総合10位から9位でクラストップの位置を守りつづける。
 200ラップ直前23時過ぎ、飯田が乗ってスタートしてすぐ、三たびペースカーがコースに入った。23号車のコース上での炎上が原因だった。0時過ぎ、18日を迎えた時点でクラストップは変化なく、後続は#39、#38、#28、#22、#24の順番になっていた。リタイヤする車もなかった。淡々としたペースに全員少し安心しながら眺めていたその直後に思わぬ事態が我々を襲った。飯田が243周を終えたところで土屋にバトンタッチするためピットに戻ってきた。コースは小雨がぱらつき始めていた。燃料補給およびタイヤ、ローターの交換作業でそのまま飛び出すはずだった。
 だがエンジン音は途絶えたままだった。スターターのトラブルで予想以上の時間を費やすことになってしまったのだ。コースに復帰した時、順位は総合18位クラス4位になっていた。この後、全体に大きなトラブルもなく進むレース展開でのこの時間の影響は大きかったと言える。#39とは7ラップ近い差がついていた。だがこれもレース。前を行く#39を含む#22、#28を激しくしかし慎重に追掛ける土屋。スタートから13時間経過した午前4時近く空が白み始めた。その後織戸、飯田、土屋とドライバーも再度一巡するが、前の3台を追走する体制は続いた。
 22時間経過時点でも、#22と#24の順位が入れ代わる変化を除いて、我々の前が3台であることに変わりはなかった。正しく淡々とした時間を見守るしかなかったチームスタッフにも「4位完走か」といった気分が蔓延していた時、最後のドラマが訪れた。
 残り30分を切るという時、#24スプーンインテグラがコース上でストップした。最後のドライバーとして走っていた飯田がそのままクラス3位総合11位でチェッカーを受けた。優勝車以上に観客から歓喜の声援に迎えられた25号車と3人のドライバーを見て、最後の最後で勝ち取った表彰台の一角にスタッフおよび関係者全員が感激と安堵の気持ちでいっぱいになったことは言うまでもない。
 みなさん御声援ありがとうございました。


R6 MOTEGI 監督自ら出陣して2位を獲得

 1999.9.18〜19
 予選:クラス2位 決勝:クラス2位


●予選
 小雨模様の中、公式予選がスタート。今回は少しセッティングを変えたことの結果を知るための走りにもなっていた。真っ先に飛び出した織戸は早くも3ラップ目に11秒6を出してクラストップの位置を得る。このままポールスタートを予想していたチームスタッフを驚かせたのは6周目が終わった時だった。38番クラフトのアルテッツアが11秒0のベストタイムを出して一位におどり出たからだった。「このまま無理せずに行きましょう」チーフエンジニア武田が言ったとおりチームは、久方ぶりのレース出場になる鈴木恵一の感触を掴むための走りを加えただけで、そのまま2位で予選を終了した。

●決勝
  テールツーノーズの戦いはカーレースの醍醐味の一つだ。この日ファーストドライバーの織戸はまさしくこの面白さを演出してくれた。完全ドライの状態で決勝は12:34に始まった。目の前の38号車を目標にレースはスタートしたと言っても良かった。15周を終えてADVAN ALTEZZAがエスペリア・ジアラ・アルテッツア(38)をパスするまで、それぞれ13秒台から14秒台のタイムで肉薄するこの2台にみんなの目が釘付けの状態だった。しかし抜き去って以降30ラップを越えるあたりではわが25番は38番に10秒以上の差をつけるポジションになっていた。35周を数えた時には、25、38、04と3台のアルテッツアが総合9位から11位に連なる場面を見せてくれた。この時点でクラスポイントリーダーの39番ウエスティンインテグラからは95秒近いマージンを確保していた。それにしてもこの日は気温の上昇が気になるところだった。
 全行程のほぼ半分の50ラップで予定通りピットイン。ポジションは総合6位についていた。ドライバーを鈴木恵一に変わる。もちろんタイヤもニュータイヤにして。その直前には38号車がドライバーチェンジしてピットアウトしていた。まだピットに入っていない4番が総合8位で暫定クラストップにいたが、14位の38番には一つ先行した13位でコースに戻ることができた。だがこの後、心配していた気温の上昇が現実に大きな阻害要因となってきた。降車直後の織戸も暑さに倒れ込まんばかりの状態だったことからもそれがよく判った。11カ月ぶりのレースである鈴木恵一にとって、経験の豊富さを持ってしても補いきれない過酷な状況だったと言える。数周して38番にポジションを逆転される。4番がピットに入り、クラス2位になる。その後も苦しいコンディションの中、何とかその2番手の位置を確保し続けた。最後はだめ押しに近い水温の上昇まで襲ったが、鈴木は2位を守ることができた。ポイント的にもっとも意識せざるを得ない39番に数秒差まで迫られていたまさしく酷暑のなかで薄氷を踏むようなフィニッシュだった。



R7スーパーテック富士 これもレースだ、無念のリタイア

 1999.10.9〜10 天候:晴れ 路面:ドライ 観客:38,800人
 予選:1位(総合18位) 決勝:R


 「何が起こるか判らないこれがレースだ・・・」誰とはなく発したこの言葉が全てを言い尽くしているようだ。
 前日、予選は圧倒的な速さを見せつけてしまった。・・・しまった、と言う表現しかないような時計だった。38号車クラフトのタイムを予想して攻めた土屋圭市の最速タイムは44.197。結果的には、2位に2秒近い差をつけてクラス1位、総合18位のスターティンググリッドを得た、と言うわけだ。
 ドライの路面状態で迎えた決勝。5分遅れの12:05のスタ−トとなった。作戦はそれこそ単純だ。土屋がスタートドライバーで行く。最初10周くらいを攻めてマージンを稼ぐ。後は燃費走行を計って、そのままゴールする・・・だった。
 「水温が高い!」18ラップにかかったところで無線で連絡が入って間もなく、19周でアルテッツアは止まってしまった。ラップ9を記録するあたりまで46秒台で走行、後続に充分な差をつけて、燃費走行への切り替えを指示されてから暫くしての出来事だった。つまり、誰もが予定通りのレースに安心し始めたところだった。  原因についてはっきりしてはいないが、走行中にキャブレターを異物が破損させての水漏れからのエンジン過熱と思われる。構造的なトラブルではなかった。
 ここまでシリーズランキングクラストップを行く39号車ウエスティンに追いつくには厳しい数字だったが、可能性はあった。この富士を含めて残り2戦を優勝で飾って、後はポイントリーダーの結果次第による僅かな期待だったが。そして、期待通り?その39号車が我々より速くリタイアを決していたことは、やはり「何がおこるか判らない」レースを象徴していた気がする。
 最終戦も全力を尽くします。


R8 SUGOスーパー耐久 有終の美を飾る

 1999.11.14 天候:晴れ 路面:ドライ 
 予選:1位(総合9位) 決勝:1位(総合8位)


●予選
 「ちょっとスピード違反じゃないの」ファルケンGTRを走らせるシフトの鈴木哲雄氏が我々のピットまで言いに来る程の驚きがサーキット全体に広がっていた。ワンデイレースとして、予選と決勝を同日に行う方式を今回の菅生は採用していた。
 公式予選は8:45に開始、鈴木恵一に代わり乗ることになった新田守男が最初を勤めた。セミウエットのタイヤで38秒からすぐに37秒台となり、あっというまに予定タイムをクリアした。8周にかかるところで織戸と交代。織戸は決勝用タイヤでアタックに向った。14周目に33秒7、いきなり総合で3位の位置に入ってしまった。画面ラップチャートを見ていた人々が思わず「えっ」と目を見張ってしまう。GTR勢がまだアタックに入っていない状況だったとは言え、サーキット全体にインパクトを与えるには充分だった。冒頭の鈴木氏のピット訪問はそれへの賞賛の意味があったことは言うまでもない。

●決勝
 予選終了から3時間後決勝スタート。ドライバーは織戸。天気が晴れとは言え11月の東北はもう寒い。ついこの間までクールスーツの話していたのが嘘のように感じられる。クラス1位、総合9位のグリッドでスタートした。36秒台でコンスタントに周回、ポジションにも大きな変動はない。40周を越えたところでサーキット側がセーフティカーを導入した。クラス4車のコースアウトが原因だった。50周で再スタートとなる。ほぼ予定通りの70周少し前でピットイン。一時的に22号車BP ADVAN INTEGRAと38号車クラフトに先を譲るが、チームに焦りは全く無かった。#22は燃費の良さでピットインせずにいるだけであり、#38も燃料不十分でもう一度補給しなければならない状況にあることが明かだったからだ。80周を越えて#22もピットに入ると、後はペースを守るだけが仕事になった。
 「有終の美」を飾る。正しくこの言葉通りの完ぺきな勝利だった。しかし残念ながらシリーズチャンピオンには届かなかった。シリーズランキングトップ39号車のこのレースでの結果を考えると、もし前回富士のレースでトラブル無く勝っていたら・・・などという想像をみんなしたかもしれない。しかし、当たり前のことだが、勝負に「もし・・・していたら」なんてことは無いことも充分にわかっている。短期間でアルテッツアをこれだけの車に仕上げたスタッフに対し、最後まで羨望と驚嘆の声が上がっていたことは間違いない。多少寒く感じられた気候の中でも、ドライバ−は勿論チーム全員の顔は晴れやかだった。シーズン通して御声援いただきありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。